場所:早稲田大学戸山キャンパス 33 号館 16 階第 10 会議室(オンラインも併用)
研究発表会
14:30-15:30 石﨑知己(早大文学研究科博士後期課程):ヴォルフガング・ヒルビッヒ『〈私〉』におけるリサイクル的書法
15:30-16:30 戸嶋匠(早大文学学術院講師(任期付)):Der »pathologisch[e]« Visionär ― 「神経の神秘主義」とホーフマンスタール「軍人物語」
16:30-17:30 柳橋大輔(早大商学学術院専任講師):抹消/再設定される境界──映画『炭坑』にみるヴァイマル末期の〈毒ガス〉表象
18:00-20:00 懇談会
なお研究発表会に先立ち 12:00 より運営委員会を同会場で開催しますので、運営委員のみなさまはご予定ください。
東西ドイツ統一後に相次いで発覚した、東ベルリンの非公式文学詩人らによるシュタージ協力を題材にしたことで話題を呼んだ東独出身の作家ヴォルフガング・ヒルビッヒの長編小説『〈私〉』(1993 年)は、彼の代名詞ともいえる〈地下通路〉が、シュタージのテーマと密接に結びついた〈情報〉と見事に連携しながら詩人とシュタージの非公式協力者の重なり合いを問題化したスパイ小説である。本作においてとりわけ注目すべきは、ヒルビッヒの描くシュタージが置かれた特殊な状況だ。彼らはもはや敵対勢力の存在しなくなった末期東独社会において、階級闘争史観を永続させるためにあらゆる〈情報〉を見境なく収集し、その結果自身の処理能力を遥かに超過した情報を抱えることでそれらを一様に無価値な〈ゴミ〉へと転落させているのだが、しかし彼らは無価値の〈ゴミ〉を恣意的に組み合わせ、それを有益な〈情報〉へと変換することで、非公式文学シーンを敵対勢力へと演出しているのだ。
このような〈情報〉と〈ゴミ〉の揺らぎを軸に据えて本作を読解してみると、スパイ/詩人である主人公の諜報活動や文学的実践においてもこの両義性が現れていることが明らかとなる。そこで本発表では、〈情報〉のネットワークとしての〈地下通路〉と〈排泄物〉の分析を手がかりにすることで、シュタージの情報処理システムと詩人の書法が〈ゴミ〉を〈情報〉へとリサイクルする点で重なり合うことを検討したい。
ホーフマンスタールの対話篇「小説と戯曲における性格について」(1902)には作家バルザックが自作の登場人物について語りながら「体験」なるものの疑わしさを論じ、「病的 pathologisch」という医学的概念と「地獄と天国」という宗教的概念を結びつける場面がある。同箇所は、ヘルマン・バールが論文「自然主義の克服」(1891)の中で、外的現実への隷従である自然主義を克服するために唱えた「神経の神秘主義」のパラフレーズである。そしてこの二つの「若きウィーン」の文学論は、ホーフマンスタールの短篇「軍人物語」(1895)において実践されている。同小説は前半と後半で雰囲気が異なり、前半は自然主義的描写が前景を占める。その前半では、主人公は奇異な振る舞いのために周囲から孤立し「病気 krank」と決めつけられる。一方後半では、不安に追いつめられた彼が祈りを唱えた瞬間、部屋に閃光が走る。彼がその閃光を天からの「しるし」と捉え幸福を感じるところで小説は終わるが、この体験は神秘体験とも彼の妄想ともとれるように描かれている。本発表では、同箇所を始めとする本作の描写が招く、自然的解釈と超自然的解釈とのあいだでの決定不可能性が、作者ののちの作品にいかに引き継がれたかを検証する。またこの本作の決定不可能性と雰囲気の変化は、バールが克服の対象とする自然主義にも見られる幻想性(モーパッサン)や神秘主義への転向(ユイスマンス)と実は似通うことを示す。
ヴァイマル期(1918-1933 年)の文学や映画には〈毒ガス〉のモティーフがしばしば登場するが、このことはこれに先立つ第一次世界大戦において毒ガス兵器が史上初めて大規模に投入され、多大な戦死者・負傷者を生み出したことに鑑みれば不思議なことではあるまい。とはいえ、戦記文学や戦争映画で兵器としての毒ガスが描出されているだけでなく、平時の社会を舞台とする作品においてもまた、第一次大戦には直接関わらない(もしくはこれに間接的に言及するにすぎない)かたちで〈毒ガス〉の形象が出現していることに注意すべきである。後者に属する事例においては、戦時下の文脈を規定していた〈友/敵〉の二元論が後退するにともない、〈毒ガス〉の表象は多くの場合、現実に使用された兵器としての性格とは異なる両義的なイメージとして現れている。本発表では、映画『炭坑』(ドイツ 1931 年、G.W.パープスト監督)を手がかりに、とりわけ 1930 年前後のヴァイマル末期における〈毒ガス〉表象の両義的な意味論を分析する。
ここではとくに、〈表層/深層〉、〈境界/越境〉、〈技術と事故〉、〈テロリズム〉、〈呼吸〉といった問題系からこの表象に接近することを試みる。なお、時間が許せば他の文学作品・映画作品もいくつか参照し、同時代の〈毒ガス〉表象について多角的な考察を行ないたい。