日時:2020年9月26日(土)13:00〜
※ Zoomによるオンライン開催
■ 発表プログラム
14:15-15:15 亀井伸治(中央大学)
忘れられた崇高論:カール・グローセ『崇高について』
青年期のティークとE. T. A. ホフマンを熱狂させたことで知られ、英国・ドイツ双方のゴシック小説とドイツ・ロマン主義との間の関係で特に注目されている作品に、十八世紀末の著述家カール・グローセの秘密結社小説『守護精霊』Der Genius (1790–94)がある。しかし、1790年代の小説の発展におけるグローセへの評価は、彼に、「崇高」自体について論じた著作があることにより、思いもよらぬ興味深い様相を帯びる。その『崇高について』Über das Erhabene は、1788年にゲッティンゲンとライプツィヒで出版されたが、モーゼス・メンデルスゾーンの『美学における崇高と素朴についての考察』 (1758)、カントの『判断力批判』(1790)、シラーの『崇高について』 (1793)といった金字塔的論考の陰に隠れて忘れられてきた。だが、グローセのこの本を読むと、彼が同時代の英国とドイツの主要な美学理論に精通していたことが分かる。彼の論議は、ヨーハン・ゲオルク・シュロッサーの翻訳によるロンギノスに基礎を置いているが、エドマンド・バークの理論に対する批判、そして、想像力の機能と魂の独立性に関する主張には、カントの観念論に通じる点がある。その他の問題提起や思索は、ピクチュアレスクの概念やアン・ラドクリフによる恐怖概念の定義付けのような、美学的には上記の件より小さいが、ロマン主義にとっては大事な発展を予見している。
グローセの『崇高について』で論じられている内容はどれも独創的なものではないし、その考察の仕方も決して精密なものとは言えないが、それでもそこには、激しく変化する時代の思考の反映と、美学における新たな展開を予示する鋭敏な資質を認めることができる。
今回の報告では、日本ではほとんど知られていないこの著作の、主に第一章で扱われているグローセの崇高の概念規定について、ジェイムズ・ビーティやリチャード・ペイン・ナイトなど当時の英国の理論や文藝の影響を中心に考察しつつ紹介したい。
15:30-16:30 小野寺賢一(大東文化大学)
オスカー・ヴァルツェルによる「抒情詩の〈私〉」概念の意味転換
従来、「抒情詩の〈私〉(das lyrische Ich)」は、おもに抒情詩の語り手としての「私」を経験的・伝記的存在としての作者と区別するために用いられてきた。しかし、その有効性には繰り返し疑義がさしはさまれてきており、とくに1990年代中頃以降はこれに代わるより適切な概念の創出が検討されるようになった。その最大の理由は、とりわけ1950年代後半から1990年代にかけて、当該概念をめぐって多種多様な、場合によっては相反する複数の説が乱立し、概念の輪郭がきわめて曖昧になってしまったことにある。本発表ではこうした「混乱」をもたらした最初の契機がオスカー・ヴァルツェルの論文「抒情詩の〈私〉の運命」(1916)にあることを指摘し、その経緯を明らかにする。
方法としては、まず、アルフレート・モンベルトとリヒャルト・デーメルの書簡、そして「抒情詩の〈私〉」をはじめて本格的に論じたマルガレーテ・ズースマンの『近代ドイツ抒情詩の本質』(1910)を手短に紹介し、この概念の成立背景を明らかにする。そのうえで、ヴァルツェルが1912年にズースマンの「抒情詩の〈私〉」概念をはじめて紹介した際には的確に理解していたある要素を、1916年の時点では排除してしまったことを指摘する。さらに、このことが、リカルダ・フーフ、ゲオルク・トラークルといった同時代の詩人たちにみられる傾向を図式化して解釈する際に生じたことを説明することで、当初は詩学的なものとして用いられた当該概念が、詩分析の道具へと転用された経緯を論じる。最後に、ヴァルツェルのこうした操作によって、戦後に展開された、「抒情詩の〈私〉」をめぐる論争の問題の核心が形成されたことを指摘する。