Germanistisches Seminar Waseda
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Diplomarbeiten - Studienjahr 2013

2013年度
卒業論文

阿久津 沙織
ローテンブルク ――夢と権力の街

浅野 修平
解釈の論理学 ――ドゥルーズ・デリダ・言語の解釈

伊東 大範
フランツ・カフカ『失踪者』について

小野寺 洋佑
ニーチェとドストエフスキーにおけるイエス像

菅野 栞
Spielenする画家 ――パウル・クレーにおける音楽・演劇・遊戯

下川 大輔
ドイツから見た日本 ――フランカ・ポテンテの小説を元に異文化理解の糸口を見出す

塚田 大樹
ハイナー・ミュラーにみる自己という存在 ――『モーゼル』における考察

鉢村 太郎
ドイツ・コミックにおけるジェンダー ――ラルフ・ケーニヒ『Der Bewegte Mann』から

森 菫
エーリッヒ・ケストナーの『飛ぶ教室』 その原典と翻訳

山口 知廣
Kの視点 ――『審判』『城』におけるKという人称について

龍道 悠汰
遺影と屍衣 ――W・G・ゼーバルト、あるいは写真小説における《彼岸性》について

2013年度
修士論文

井上 晴樹
トーマス・マンにおける象徴体系と性言説

関口 美貴
モンゴルからのドイツ語物語芸術 ――ガルサン・チナグ

田邉 恵子
〈わたし〉への無限の書き込み
――ヴァルター・ベンヤミン中期散文作品における空間記述と回想の方法

中村 文恵
そしてフレームだけが残った ――アドルフ・ムシュク『兎の夏』における間接性とメディア性

前原 早百合
ドイツ語におけるフランス語の借用語研究
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