予約は不要ですので、お気軽にご参加ください。
2023年11月10日(金)12:25〜13:05
31号館103教室
大学からの連絡も併せてご確認ください。
当コースについて個別でご質問のある方は、33号館601・602コース室に待機しているLAに直接お尋ねいただくか、こちらのお問い合わせフォームからご連絡ください。
お待ちしております。
今学期も以下の日時と場所で文学部ドイツ語ドイツ文学コースの進級ガイダンスを行います。
予約は不要ですので、お気軽にご参加ください。 2023年11月10日(金)12:25〜13:05 31号館103教室 大学からの連絡も併せてご確認ください。 当コースについて個別でご質問のある方は、33号館601・602コース室に待機しているLAに直接お尋ねいただくか、こちらのお問い合わせフォームからご連絡ください。 お待ちしております。
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一年生のみなさん、
もうすぐ夏休みですね。大学は慣れましたか? 文学部ドイツ語ドイツ文学コースは下記の要領で進級ガイダンスを行います。 試験やレポートの準備で忙しい頃と思いますが、少しでも興味があればぜひご参加ください。 日時:7月11日(火)12:25〜13:05 場所:31号館104教室 形式:対面・Zoomでのハイフレックス方式 ZoomのURLなどの詳細は大学からの連絡をご確認ください。 なお当日予定の合わない方、個別で質問したい方は、33号館601・602独文コース室に待機しているLAにご質問いただくか、以下のお問い合わせフォームからご質問ください。 → コース室開室時間・お問い合わせフォーム 日時:2023年4月15日(土)13:00より 会場:早稲田大学戸山キャンパス33号館3F 第1会議室にて対面(オンライン併用) 13:00-14:00 総会 研究発表会(途中で随時休憩を入れます) 14:00-15:00 山本浩司:G.ファルクナーの絵画詩について 15:00-16:00 森野紗英:G.ビューヒナー『レンツ』における運動の美学 16:00-17:00 武田利勝:ラムドーアとフィヒテのあいだ ― Fr. シュレーゲル『ルツィンデ』のレ フレクシオーン 17:00-18:00 藤井明彦:Konrad Bollstatter の「占い本」について 18:30- 懇親会(会場未定) [発表要旨] 山本浩司(早大文学学術院教授) G.ファルクナーの絵画詩について 詩人ファルクナーは、2010年代に美術とのコラボレーションの依頼を二度も受け、『ペルガモン・ポエムズ』 (2012)でベルリンのペルガモン壁画のギガントマキアに、『イグナチア』(2014)でイヴ・ネッツハンマーのコンピュータグラフィックスに応答する絵画詩を発表した。もちろん絵画詩と言っても、モデルとなる美術作品を単に図解する古典的なものではない。むしろ瞬間に凍結した絵画を言葉の力で雪解けさせようとする試みとなっている。 本発表では、若い頃の詩人がパーペンフス=ゴレク、クリング、ウォーターハウス、グリュンバインら現代詩の綺羅星たちとともに東独の画家ペンクとコラボした詩集『プロエ』(1992)など最初期の絵画詩の試みを振り返った上で、古代の壁面彫刻と最新のデジタルアートを対象とした 2010 年代の両詩集を見比べながら、特に人間の身体の表象という点に注目して類似点と相違点を洗い出し、モデルとなる美術作品それぞれの特性に応じた詩的造形がいかになされているかを検証することを第一課題とする。その上で、ファルクナーが具体詩から学んだ単語やシラブルの置換(Permutation)などの詩的手法が、「ささやかな形態学的ずらし」という現代芸術の技法と呼応しつつ、言語的画像的形成物の輪郭を失わせ、絶えざる変形の過程に巻き込んでいく様子を丁寧にあとづけていく。そして最後にそのような詩と絵画の交感にどのような意義が認められるかを問うつもりである。 森野紗英(早大文研修士課程 2 年) G.ビューヒナー『レンツ』における運動の美学 G.ビューヒナー「レンツ」(推定成立年 1836 年)は狂気の内面描写がされ、モダニズム文学の内的モノローグや体験話法の先駆けと一般に捉えられているが、しかし主人公レンツの内面は、アメリカの批評家ギルマンの指摘するように、内的論理として提示されているわけではなく、あくまでもとめどない運動の相において捉えられている。本発表では、静止しているはずの絵画に運動を読み込むレンツのエクフラシスを出発点として、さまざまな次元で繰り広げられるビューヒナーの「運動の美学」を浮き彫りにする。 レンツの内面描写において注目すべきは、コンマで区切られた文がそれぞれ独立した意味単位を形成し、並列的に置かれるという文体的特徴であるが、それら文は因果律ではなく、連想的な意味のずらしによって相互に結びつけられ運動体となる。自然描写においても、上下運動をはじめとする二極間での揺らぎがみられ、夢と現のはざまをたゆたうレンツの状態と連関をもつ。こうした内面・自然描写の運動と共鳴するかのように、「語り」もまた動き出す。体験話法は、一般に語りと人物の境界をあいまいにするとされるが、本作において重要なのは境界のあいまい化それ自体ではなく、両者の距離が絶えず変化する点にある。 「運動」という切り口は、作品内部の次元を超え、ビューヒナーの「狂気」に対する姿勢をも明らかにする。彼にとって「狂気」とは何らかの原因に還元されるものではない。彼の狙いは、レンツに起こった出来事を因果ではなく「運動」のうちに捉えることにある。 武田利勝(早大文学学術院教授) ラムドーアとフィヒテのあいだ ― Fr. シュレーゲル『ルツィンデ』のレフレクシオーン 1799 年 8 月 10 日、当時ベルリンにいたフリードリヒ・シュレーゲルは兄アウグスト・ヴィルヘルムに宛てて、フィヒテとの散歩中に美術批評家 Fr. W. B. ラムドーアに遭遇し、しばしの立ち話にふけったことを伝えている。この一見些細な出来事はしかし、その3 ケ月前に世に出されたばかりの小説『ルツィンデ』のなかのとりわけ問題の章、「あるレフレクシオーン」を読解するための重要な視座を与えてくれる。周知のように、本章の核心は観念論的主題の性愛論的脱構築と言うに尽きるのだが、この日の散策で知識学の創始者フィヒテと『ウェヌス・ウラニア』の著者ラムドーア、思想傾向的にまったく相容れないこの二人とともにいたことをさりげなく伝えることによって、シュレーゲルは『ルツィンデ』の当該箇所を理解するよう、密かにアウグスト・ヴィルヘルムに-つまり本作に対してもっぱら拒否反応ばかりを示していた兄に-促しているかのようなのだ。 「あるレフレクシオーン」の章のパロディ的性質についてはしばしば指摘されている。本発表では、そのパロディがどのような前提のもと、そして具体的にどのような手続きで実行されたのか、いわば犯行動機の解明と徹底的な現場検証を試みる。具体的には、『全知識学の基礎』および『ウェヌス・ウラニア』それぞれの部分的読解と、小説『ルツィンデ』の準備草稿ならびに作品構造の分析を通じて、当該章を1800年前後の思想的文脈の上に置き、それが本来持っていたインパクトを改めて再現してみたい。 藤井明彦(早大名誉教授) Konrad Bollstatter の「占い本」について Konrad Bollstatter(1420 年代生~1482/83 年没)はアウクスブルクで筆耕を生業としていた人物だが,注文に応じて写本を制作するばかりでなく,自分の蔵書に加えるために既存の写本を筆写したり,そこに自らの創案を書き 加えて独自の版を作ったりすることもあった。バイエルン州立図書館所蔵の写本 cgm312(全 177 葉)もそのようなものの一つだが,主な内容は 1450 年代から 1470 年代にかけて Bollstatter が書き溜めた 10 種類の「占い本」である。そこでは病気が治るかどうか,結婚すべきかどうか,旅行中の者が戻るかどうか,借金が払えるかどうか,心配事から解放されるかどうかといった問いに対して旧約聖書の預言者, キリスト教の教父,世俗の国王や諸侯,七つの惑星,黄道十二宮,四大元素,さらには様々な動物,鳥,魚などが答えを与えている。サイコロを振って始める占いが多く,最終的な答えに行き着くまでの過程にも娯楽的な要素がないわけではない。しかし立てられる問いにはどの時代でも変わらない,明日を案じる人間の姿が反映されている。その一方で,占い本を信じるな,占い本で神の御意志を試してはいけないという警告を書き記した頁もある。登場する聖人や賢者,動物や鳥には大型の挿絵が添えられており,図像学的にも魅力のある一冊である。この Kodex を眺めながら,15 世紀半ばの一つの世界観を探ってみたい。
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早稲田大学文学部
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