研究発表会(途中で随時休憩を入れます)
14:00-15:00 山本浩司:G.ファルクナーの絵画詩について
15:00-16:00 森野紗英:G.ビューヒナー『レンツ』における運動の美学
16:00-17:00 武田利勝:ラムドーアとフィヒテのあいだ ― Fr. シュレーゲル『ルツィンデ』のレ フレクシオーン
17:00-18:00 藤井明彦:Konrad Bollstatter の「占い本」について
18:30- 懇親会(会場未定)
本発表では、若い頃の詩人がパーペンフス=ゴレク、クリング、ウォーターハウス、グリュンバインら現代詩の綺羅星たちとともに東独の画家ペンクとコラボした詩集『プロエ』(1992)など最初期の絵画詩の試みを振り返った上で、古代の壁面彫刻と最新のデジタルアートを対象とした 2010 年代の両詩集を見比べながら、特に人間の身体の表象という点に注目して類似点と相違点を洗い出し、モデルとなる美術作品それぞれの特性に応じた詩的造形がいかになされているかを検証することを第一課題とする。その上で、ファルクナーが具体詩から学んだ単語やシラブルの置換(Permutation)などの詩的手法が、「ささやかな形態学的ずらし」という現代芸術の技法と呼応しつつ、言語的画像的形成物の輪郭を失わせ、絶えざる変形の過程に巻き込んでいく様子を丁寧にあとづけていく。そして最後にそのような詩と絵画の交感にどのような意義が認められるかを問うつもりである。
レンツの内面描写において注目すべきは、コンマで区切られた文がそれぞれ独立した意味単位を形成し、並列的に置かれるという文体的特徴であるが、それら文は因果律ではなく、連想的な意味のずらしによって相互に結びつけられ運動体となる。自然描写においても、上下運動をはじめとする二極間での揺らぎがみられ、夢と現のはざまをたゆたうレンツの状態と連関をもつ。こうした内面・自然描写の運動と共鳴するかのように、「語り」もまた動き出す。体験話法は、一般に語りと人物の境界をあいまいにするとされるが、本作において重要なのは境界のあいまい化それ自体ではなく、両者の距離が絶えず変化する点にある。
「運動」という切り口は、作品内部の次元を超え、ビューヒナーの「狂気」に対する姿勢をも明らかにする。彼にとって「狂気」とは何らかの原因に還元されるものではない。彼の狙いは、レンツに起こった出来事を因果ではなく「運動」のうちに捉えることにある。
「あるレフレクシオーン」の章のパロディ的性質についてはしばしば指摘されている。本発表では、そのパロディがどのような前提のもと、そして具体的にどのような手続きで実行されたのか、いわば犯行動機の解明と徹底的な現場検証を試みる。具体的には、『全知識学の基礎』および『ウェヌス・ウラニア』それぞれの部分的読解と、小説『ルツィンデ』の準備草稿ならびに作品構造の分析を通じて、当該章を1800年前後の思想的文脈の上に置き、それが本来持っていたインパクトを改めて再現してみたい。