Germanistisches Seminar Waseda
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Diplomarbeiten - Studienjahr 2014

2014年度
卒業論文

安藤 保菜美
「物語の精神」による鐘声 ――トーマス・マン『選ばれし人』を語る者とそれが語ること――

岡田 勲
ハーバーマスと東浩紀

小田 周平
遊びと社会 ――ホイジンガ遊戯論の検討――

祭原 陸
Timur Vermes ≫ER IST WIEDER DA≪ について ――邦題 ≫帰ってきたヒトラー≪ について――

櫻井 武人
レニ・リーフェンシュタールの芸術観に対する考察

德永 けい
「私は思い出さない―私は物語る」
――テレジア・モーラの短編集『奇妙な題材』における境界 (Grenze)

德永 菜摘野
裸体と仮面 ――アルトゥア・シュニッツラー 『令嬢エルゼ』を例に――

中里 優希
それが彼のものでないのなら ――身振りからみたヘルタ・ミュラー『息のブランコ』について

中村 みなみ
「ガラスの壁」の中で書く女たち ――マルレーン・ハウスホーファーの小説を読む――

仁科 裕成
虚実のあいまいな物語 ――レオ・ペルッツの幻想とその構造

二村 真璃沙
ドイツと日本における舞台芸術の比較

野本 彩香
ハインリヒ・フォン・クライストの短編小説

宮原 大典
Mirjam Pressler:《Nathan und seine Kinder》論

山田 奈津子
移民に向けた言語教育 ――戦後ドイツにおける取り組みを中心として――

2014年度
修士論文

板垣 友美
ロベルト・ムージルの短篇「トンカ」について

白川 和歩
ゴットフリート・ベンの後期著作における静力学の思想

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