Germanistisches Seminar Waseda
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Diplomarbeiten - Studienjahr 2004

2004年度
卒業論文

江連 正丈
ロマ

柏木 慶太
ドイツと戦車について

小見田 幸
日本におけるドイツ語教育について

佐竹 翔平
日本の手話・ドイツの手話

渋谷 智子
ヨーゼフ・ロート作品論 ――悲哀のエッセンスとその技法

島田 佳世子
ミットグッチュとイェリネクにおける母娘関係 ――『体罰』と『ピアニスト』の母と娘を通して

菅井 淳史
視線のプロセス ――ゲーテと共に

高山 慎司
インターネット世代の「不安」 ――ウルリヒ・ベックの「世界リスク社会論」を通して

竹中 明欧
時計による〈人間〉のリコンフィギュレーション

天摩 くらら
文学における「奇蹟」について ――人を人で在らしめるための模索への試み

永井 英里
ピナ・バウシュの作品における女性の表象

永野 真仁
クライストの『ハイルブロンの少女ケートヒェン』論

新平 喬行
シュテファン・ツヴァイクについて

仁井本 大介
ピナ・バウシュという装置

二之湯 真士
理性による認識を超えたものを包含する人間観・世界観の再評価

前川 一貴
ベンにおける詩の強度 ――詩は何のためにあるのか

本橋 健司
倫理の射程 価値の射程

2004年度
修士論文

北岡 寛
うつろいゆくうつろわないもの ――ニーチェにおける「良心」の概念について

河野 桃子
日本の公教育にシュタイナー教育を生かす
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