ドイツ語やドイツ文学に関心のある一年生も、どうぞお気軽にご来聴ください。
【日時】2019年10月23日(水)14:30開場
【会場】早稲田大学戸山キャンパス第7会議室(39号館6階)
■プログラム
14:45-15:15 リヒャルト・ヴァーグナーにおける解釈の「うみ」(生・海) ― 戦後から現代までを中心とした『ニュルンベルクのマイスタージンガー』演出の諸相(遠藤 愛明)
発表においてはタイトルの趣旨を説明することで現在構想中の卒業論文の概略を示す。「芸術家ワーグナー(原文ママ)は好きだと称しながら、人間ワーグナーには共感しかねると思っている連中を、私は自分の友人とはみなしていない」とリヒャルト・ヴァーグナーは『友人たちへの伝言』の中で書き記している。そうであるならば特に戦後から現代にいたるまで、ヴァーグナーの「友人」は極めて少ないということになる。ナチス・イデオロギーに吸収されてしまったという事実から抜け出すためにもヴァーグナーのオペラは大胆にその脚本を破られ再解釈が施されてきた。
「決定的であったのは、ヴィーラント・ワーグナーの抽象的なステージ作りとその効果を十分高めていた照明の素晴らしさである。《これがワーグナーか》と思った瞬間、私のワーグナー嫌いは音をたてて崩れ去った」。これは戦後日本を代表する政治思想家であり知識人であった丸山真男(1914~1996)の言葉であるが(《丸山眞男集》15巻106頁)、筆者とヴァーグナーの出会いにおいて、まさにこの感慨を共有している。
フランスの音楽学者ジャン・ジャック=ナティエは「ヴァーグナーに対しては不忠実である方が忠実である」という逆説的な言説を残しているが、演出家たちはヴァーグナーの作品の中に現在に至るまで常に新しい側面を(あるいは価値を)見出し提示してきた。ヴァーグナーはいわば「忠実に裏切られてきた」のである。
卒業論文においては、これまで語られてきた言説、そして制作されてきたプロダクションをもとに浮び上がるヴァーグナーという人物に迫る。具体的に取り組む作品を選ぶにあたって筆者は『ニュルンベルクのマイスタージンガー』という作品に注目し、戦後バイロイトから出発して、主にゲッツ・フリードリヒ、そしてシュテファン・ヘアハイムとバリー・コスキーの演出に取り組む。発表においてはそれぞれの時代における『マイスタージンガー』演出のキーワードを示し今後の分析における方向性を示す。
15:15-15:45 So schön und schöner als in der Natur ―ドイツ啓蒙主義からロマン主義にかけての人形と人間の境界の変容(久保 結菜)
人形と人間というテーマは古くから論じられてきたものであり、その流れは今日人工知能と人間という問題へと受け継がれるところのものである。近年の小説や映画などでは、人間を模倣して産み出されたものが本来その起源であったはずの人間を超出するというテーマが散見されるが、コピーがオリジナルに対し優位に立つといったような、人間の似姿と人間の関係が可能となる背景には、人形の受容に関わる条件の変化があったと考えられる。本来、人形は呪術の道具として、あるいは子供のおもちゃとして、人間に使役されるものとしての性格が強かったのだが、啓蒙期のデカルトの「動物機械論」やド・ラ・メトリの「人間機械論」などの思想が自動人形と組み合わされたことにより、人体の仕組みの解明、人体の機構の再現として人形を見る動きが生まれたのである。以上のことから、人形受容の重要な転換点となったのが、啓蒙期からロマン主義にかけてであると考えられる。
卒業論文では、ゲーテとホフマンの文学作品における人形の機能を通して、ドイツの啓蒙期からロマン主義の文学作品のなかで、人形と人間の関係がどのように築かれたか、そしてそのための前提条件は何であったかを解明するつもりである。
今回の発表では、卒業論文全体の輪郭を示しつつ、啓蒙期の思想と自動人形の関連に的を絞り、ゲーテの戯曲『感傷主義の勝利』(1787) における人形の機能の分析を扱う。また、人形の「物質性」の重要性を説いた金森修の『人形論』についても参照する予定である。
15:45-16:15 地縛霊に囚われて―W.G.ゼーバルト『アウステルリッツ』における交錯する記憶と時間(谷本 旭)
W.G.ゼーバルト(1944-2001)はドイツで生まれつつも、その生涯の大半をイギリスで執筆活動をおこなって過ごした。最後の作品『アウステルリッツ』は、語り手「私」の視点から「~とアウステルリッツは語った」と報告される文体と、物語の随所に挿入されるモノクロ写真が特徴的となっている。建築史家アウステルリッツが、これまであえて避けてきたルーツ探しの旅に出ていたことを、アントワープ駅で偶然出会った「私」に話すところから物語が始まる。出生の手掛かりをつかもうと自らに関連があるとおぼしき場所を訪れたアウステルリッツは「現実世界の中に一瞬起こった非現実的なもののきらめき」を何度も経験する。過去の様々な「記憶」、具体的には当時の服装をした人々の幻影を目にするのだ。これらの人々はいずれも帝国主義やホロコーストといった負の歴史を背負った人々である。自身のルーツ探しが彼らの想起と混じり合い、過去の記憶や時間が交錯していく。本論文ではこの記憶と時間の交錯を引き起こすゼーバルトの独特な想起の手法を分析した上で、アライダ・アスマンの『想起の空間』を参照しながら1990年代以降のドイツにおける「過去の想起」という問題圏のコンテクストのなかに置いて、その意義を考察してみた
16:15-16:30 休憩
16:30-17:00 「罪なき人々」を翻弄する媒介者/物―ヘルマン・ブロッホの全体性小説『罪なき人々』の作品構造(隣 健斗)
卒業論文では、オーストリアの小説家ヘルマン・ブロッホ (1886-1951) の小説『罪なき人々』(1949) の作品構造を分析していきたいと考えている。
『罪なき人々』は「前物語」、「物語」、「後日物語」の三部からなる長編小説である。「声」と呼ばれる詩が各部の冒頭には1913年、23年、33年という年号とともに掲げられている。この長編小説を構成する十一の短篇小説は、単独のストーリーによるのではなく、Aと名付けられた男を巡って相互に関連づけられている。パリからドイツのとある街へ訪れたAが、W男爵宅に間借りする所から物語は展開し、Aが女中ツェルリーネを仲介して他の登場人物全員と交流したのち、養蜂家の老人との対話の末、ピストル自殺を遂げるというあらすじを持つ。
本発表では、まずブロッホが小説の序論「全体小説論」において長編小説を「全体性描写」と捉えていることの意味を検討する。その上で、『罪なき人々』に目を向けて、「Aに寄り添った小説の展開」と「女中や老人などの媒介者/物が小説の展開に担う役割」の二点に注目し、そこでそれぞれ重要となる「Aのキャラクター」と「媒介者/物」が小説の全体性を実現するうえでどのような機能を果たしているか、を本小説ばかりか、ブロッホの他の著作を手掛かりにして明らかにしたい。
17:00-17:30 1400年代における中世低地ドイツ語正書法「リューベック規範」の通用性について(壼井 大智)
ラテン語で書かれていたハンザの議事録は1369年より中世低地ドイツ語で書かれるようになった。その後、ハンザの盟主であったリューベックの方言を基にして「リューベック規範(Lübecker Norm)」が中世低地ドイツ語の正書法として機能し始める。その結果、1400年頃にはドイツ北部低地地方において広範囲にわたる言語の均一化が見られたが、15世紀後半のハンブルクのようにリューベックで新たに生じた変種を継承せずに古い形態を保持する都市も存在した。現在見られるような厳密な規則としての正書法が存在していなかった中世においてはこのような都市が複数存在していても何ら不思議ではない。本発表では1400年にハンザ都市において書かれた文書の中から、特にリューベック(Lübeck)・ブラウンシュヴァイク(Braunschweig)・ドルトムント(Dortmund)で書かれた文書を取り上げ、各都市の文書内における表記に着目しリューベック規範の通用性について考察する。リューベックの文書においては先行研究内で1400年頃のリューベック方言として例示されている形態との比較を行ない、他の2都市の文書においては本研究で用いるリューベックの文書との比較を通し、1400年時点のハンザ都市における中世低地ドイツ語の表記について考察する。
17:30-18:00 ヘルマン・ヘッセ『荒野の狼』における“内在する作者”の機能(渡邊 能寛)
1960年代以降広く普及したテクスト論は、テクストの親たる存在である“作者”の存在を解釈の俎上から排除することによって多様な解釈への可能性を拓いたが、アメリカの文芸評論家W. C. Boothはテクスト論の有効性を認めた上で、読者が作品の鑑賞を通じて想起せざるを得ない書き手の存在“内在する作者”を想定し、所謂「作者の死」の行き過ぎを指摘した。Boothはその主著『フィクションの修辞学』において、“作者”の概念抜きにはその魅力を弁護不可能な作品の存在を明らかにしたが、ヘルマン・ヘッセ『荒野の狼』もそういった作品の一つであろう。一つのストーリーに対し本質的に全く異なる視座を持つ三つの語り手が導入され、その物語全体を統一的に支配する構造を把握するのは容易ではないが、語り手が交代することによって生じる“内在する作者”像の変遷に着目することによって、それは可能になる。